teloop

10月 5, 2011
fuckyeahtanaka:

漫☆画太郎インタビュー記事その2
画太郎が来る!!   以下、画太郎の独白形式
画太郎の誕生
アップルティー、ホットで。(ペンネームについて) あぁ、何も考えてないですね。自分でも、いつ付けたのかもよく覚えてません。でも確か”GAGキング”の賞に送った時は、「漫☆画太郎」って付けてたと思います。その頃いろいろあってちょっとノイローゼ気味だったんです。ホントおかしくなっててまったく記憶がないんです……。 そんな時『少年ジャンプ』で第一回の”GAGキング”の募集があって。一頁でもいいというから、それなら自分にもできるかなと思って。で、描いたら十頁ぐらいになってしまって。(デビュー作にまつわる、奇妙な話) 実はその”GAGキング”の前に、『月刊少年ジャンプ』で、”マンガ原作者募集”というのがあったんですが、なんかそれにどうも自分が送ったみたいなんです。でもそのことをまったく覚えていない。ホントなんの記憶もないんです。そしてそれが八年後に、当時の担当編集者の押し入れから出てきたんです。自分の字なんですよ、本当に。タイトルは「処刑教師」。なんか「バトルロワイヤル」みたいな。 ……恐かったですねぇ。自分はまったくそんなものを書いた覚えがないから。実はもう一人の自分がいて、”ドッペルゲンガー(筆者註:自分自身の幻覚を自分で見る幻覚の一種『大辞林』より)じゃないですけど、原作者である「自分」が今も別の場所で生きていて、その男がいつか自分に会いに来るんじゃないか。なんかもう一人の自分に会うと、死んじゃうという話を聞いたことがあるもんで……。画太郎の衝撃(世間からの反応) 届く手紙も、半分は抗議でしたね。「くそつまんねぇ!」「死ね!」とか書いてある。まぁ、あまり気にせずやってましたけど。当時メディアだと、リアルタイムで自分のこと取り上げてくれたのって、知る限り電気グルーヴと鶴見済(筆者註:『完全自殺マニュアル』『檻の中のダンス』の著者)さんだけだったんですよ。だから一時、電気グルーヴと鶴見さんだけが心の支えになってましたね(笑)。(「珍遊記」の真相)「珍遊記」、一週目のアンケートの結果が悪くて、本当は十週で打ち切りが決まってたらしいんです。でも当時の担当編集者が、それじゃああまりにも自分が不憫だと思って、なかなか言い出せなかったらしいんですよ。自分はもちろんそんなこと知らないから、続くもんだと思って、のびのび続きを描いてました(笑)。 そしたら五週目くらいですかね、人気が突然ニ位まで上がってしまって、それでなんとか続行が決まったらしいんですよね。最初に打ち切りだって知ってたら、きっとショックで死んでたでしょうね(笑)。画太郎の沈黙(「珍遊記」終了後、初の読みきり「災いは口のもと…」) あれは全然反応も人気もなくて、それでその後仕事来なくなっちゃったんですけどね。(「地獄甲子園」に対する無反応)「地獄甲子園」は「珍遊記」連載時と違って、まったく無反応だったんですよ。人気もなくて、アンケートもダメで、ファンレターもまったく来ない。非難の声さえない。無反応が一番やる気なくなっていくんですよね(笑)。(少年誌のネームチェック)少年誌のネーム(筆者註:ペン入れ前の段階で、大雑把にコマ割り、台詞などを描き入れたもの)チェックはめちゃくちゃ厳しいんです。ネームを渡してからずーっと、ドキドキ正座して電話を待ってるんですね。それでだいたい全部ダメ出しされるんです。よくてもどこか一、二ケ所直せと言われる。でもギャグマンガってどこか一部直したりすると、リズムやバランスが崩れて、まったく違うものになってしまうんですよ。だから結局あちこち直さないとしょうがない。でもそんな風に直してると、頭がこんがらがってきて、自分でも何が面白いかわからなくなるんです。 あまりにチェックが厳しくなると、そのうち自分でネームを描きながら自分でもチェック入れてしまうんですよ。指摘されそうなところを自粛してしまう。それでどんどんどんどんマンガが小さくなっていくんですね。自分が本当に面白いと思って描いたものが評価されないならまだいいんですけど、ネームを通すために自粛して描いたものを「面白くない」と言われること、これは我慢ならない…。 それから、本当にストーリーものを描くのが嫌になってしまって。だから、「わらってごらん」のようなストーリーのないものとか。あと、人間同士の殺し合いをやるとネームが通らないから、「ギーガー」のように主人公を動物にしたり。差別語がまた問題になるから、「ウギー!」とかの擬声音で台詞なくしちゃった(笑)。(漫画を辞めたくなった) 出しても出してもネームは通らない。どんどん自分のマンガが狭くなっていくのがわかった。もう自分が何を描いたらいいのかわからなくなっていたんです。このままマンガやっててもしょうがないなって思った。もうマンガ辞めようかなと…。(リンパ腺の炎症により、肩がまったく上がらなくなったこと) 一生描けないんじゃないかと思って、精神的にもすごく落ち込んだんです。それでペンはもうやめようって思ったんですよ。
画太郎の世紀(ゲームの企画書を持ち込みに行った先のエニックスでの出来事) エニックスが『コミックバウンド』という青年マンガ雑誌を作ることになったんです。それに(ピエール瀧さんと天久(筆者註:天久聖一、マンガ家。共著『バカドリル」他)さんと三人で何かやってくれないかと言われて、「マンガ描かないならいいですよ」と引き受けたんです。「バカサイ」(筆者註:『SPA!』の好評連載「バカはサイレンで泣く」。天久氏がメインコンセプターを務める)みたいな、読者ハガキで作るコーナーだと思って打ち合わせに行ったら、すっかり様子は変わっていて、瀧さん原作で自分がマンガ描くということになっているんですよ。すぐ断わったんですけど、瀧さんもすごい乗り気だったし、瀧さんとはずっとなにか一緒にやりたいと思っていたんで、隔週の少ない枚数だったから、今の腕でもなんとかいけるかなと思って始めたんです。それがネームを描き出したらいつものようにどんどん脱線してしまって、ニ七頁になっちゃったんです。無理だろうなぁと思いつつペン入れしてみたら、これが腕痛くない!治ってたんですね、完全に(笑)。画太郎の世紀(ゲームの企画書を持ち込みに行った先のエニックスでの出来事) エニックスが『コミックバウンド』という青年マンガ雑誌を作ることになったんです。それに(ピエール瀧さんと天久(筆者註:天久聖一、マンガ家。共著『バカドリル」他)さんと三人で何かやってくれないかと言われて、「マンガ描かないならいいですよ」と引き受けたんです。「バカサイ」(筆者註:『SPA!』の好評連載「バカはサイレンで泣く」。天久氏がメインコンセプターを務める)みたいな、読者ハガキで作るコーナーだと思って打ち合わせに行ったら、すっかり様子は変わっていて、瀧さん原作で自分がマンガ描くということになっているんですよ。すぐ断わったんですけど、瀧さんもすごい乗り気だったし、瀧さんとはずっとなにか一緒にやりたいと思っていたんで、隔週の少ない枚数だったから、今の腕でもなんとかいけるかなと思って始めたんです。それがネームを描き出したらいつものようにどんどん脱線してしまって、ニ七頁になっちゃったんです。無理だろうなぁと思いつつペン入れしてみたら、これが腕痛くない!治ってたんですね、完全に(笑)。(ネームがスムーズに通った) やっぱり、最初は信じられなかったですね。これまで少年誌で、まったくネームが通らなかったですから。だから『コミックバウンド』の打ち合わせの時は、これは過激すぎるからやめた方がいいんじゃないですか?って、毎回自分からダメ出ししてました(笑)。(「週刊少年誌」に対する思い)「週刊少年誌」でもう一度やりたかったんですよ。 それで、自分で『チャンピオン』に持ち込みに行ったんです。この(ハートフルカンパニー)内容のまま、少年誌でできるところって、『チャンピオン』ぐらいしか思いつかなかった(笑)。持ち込み自体初めての経験だったから、とにかくやり方がわからなくて(笑)。まず本名で「原稿持ち込みたいんですけど」って電話しました。最終的には自分の素性を明かすつもりでしたけど、電話を受けた編集者が女性だったから、恥ずかしくて”漫☆画太郎”と名乗れなかったんです(笑)。この時初めて後悔しましたね、このペンネーム付けたことを(笑)。 そして日時を決めて、『コミックバウンド』を五号分抱えて秋田書店に行ったんです。(『チャンピオン』のネームチェック)『コミックバウンド』のネームチェックもひどかったけど、『チャンピオン』も期待以上にひどいです(笑)。ホントに読んでるのかなぁって、こっちが心配するぐらい全部通っちゃいまして(笑)。『週刊ヤングジャンプ』もそうなんですけど、とにかくすごいやり易くて……なんか今、一番楽しいですね!もうこれからは今まで通らなかったネームをバンバン出して、暴れ回ろうと思ってますから。はい。メチャクチャにすることなら、まかせてください(笑)。画太郎の顔(漫☆画太郎は祖母の介護をしながらマンガを描いているという噂) あ、それ本当ですよ。バアさんが一階で寝て、自分がニ階を仕事部屋にしてます。あぁ、それもあって一年間は何もできなかったんですね。 ホント元気のいい頃は、自分のマンガの”はやっとちりババア”そのままの人で、一人で興奮しまくって他人のいうこと一切聞かないんです。いつか、今度の夏休みに孫が家に遊びにくるという電話が来たときも、まだそれまで一週間以上あるっていうのに、電話を切った途端掃除始めて、布団干し始めるんですよ。「まだ早いよ!」って言っても、嬉しくて興奮してるから誰にも止められないんですよ(笑)。 もう百歳になるのに、年寄りと見られるのが嫌だから、杖とか使わないで無理して歩くんです。だからしょっちゅう、階段から落ちて青アザつくったり、血圧上がってぶっ倒れたりしてました(笑)。こっちは気が気じゃなかったけど。(ループマンガのルーツ?) 戦争の話とかもよくするんですけど、それが毎回同じ話なんですね。戦後焼け野原になって、ジイさんと二人で馬車馬のように働いて、子供たちを育て上げたっていう自慢話なんですが、最後は必ず「私はよくやった!」って泣くんですね(笑)。出だしは毎回違うんですけど、最後はいつも「私はよくやった!」(笑)。暇だと笑えるんだけど、忙しいと頭くるんですよね(笑)。(漫☆画太郎のプライベートについて) そういった謎も含めて「漫☆画太郎」を楽しんでもらいたいんです。(幼い頃にトラウマとなる出来事はあったのか) よく聞かれるんですけど、小さい頃、特にトラウマがあったということはないですよ。ただ藤子不二雄A先生の『魔太郎が来る!!』のようなドロドロしたマンガは、好きで読んでましたね。でも、自分は藤子先生のおふた方が好きなんです。藤子F不二雄先生の「少年マンガ」の空想世界も、すごい好きなんです。自分の「災いは口の元…」なんか藤子先生や、作家の星新一さんの影響が大きいですね。自分は『まんが道』を読んで、マンガ家目指しましたから。(藤子不二雄Aからの直筆メッセージ)”トビマワリ、カワリマクッテ、キキカイカイ!?”奇妙奇天烈、奇々怪々の世にも不思議な漫画だ!読者の予測をまったく裏切って、登場人物が、こちらと思えばまたあちら、あちらと思えばまたこちら、と自由自在にトビマワル!その性格形相も一瞬のうちに一八〇パーセント変わりまくる!あのベレー帽にパイプをくわえた温厚なる肖像の画太郎画伯のほんとうの顔を見てみたい気がするな!藤子不二雄A 信じられません。自分は藤子先生のマンガを壊すようなことばかりしてきましたから。どうぞ宜しくお伝えください。
出典先:Quick Japan Vol.37(2001年6月28日発行、太田出版)P84-P95
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fuckyeahtanaka:

漫☆画太郎インタビュー記事その2

画太郎が来る!! 以下、画太郎の独白形式

画太郎の誕生

アップルティー、ホットで。
(ペンネームについて)
あぁ、何も考えてないですね。自分でも、いつ付けたのかもよく覚えてません。でも確か”GAGキング”の賞に送った時は、「漫☆画太郎」って付けてたと思います。その頃いろいろあってちょっとノイローゼ気味だったんです。ホントおかしくなっててまったく記憶がないんです……。
そんな時『少年ジャンプ』で第一回の”GAGキング”の募集があって。一頁でもいいというから、それなら自分にもできるかなと思って。で、描いたら十頁ぐらいになってしまって。

(デビュー作にまつわる、奇妙な話)
実はその”GAGキング”の前に、『月刊少年ジャンプ』で、”マンガ原作者募集”というのがあったんですが、なんかそれにどうも自分が送ったみたいなんです。でもそのことをまったく覚えていない。ホントなんの記憶もないんです。そしてそれが八年後に、当時の担当編集者の押し入れから出てきたんです。自分の字なんですよ、本当に。タイトルは「処刑教師」。なんか「バトルロワイヤル」みたいな。
……恐かったですねぇ。自分はまったくそんなものを書いた覚えがないから。実はもう一人の自分がいて、”ドッペルゲンガー(筆者註:自分自身の幻覚を自分で見る幻覚の一種『大辞林』より)じゃないですけど、原作者である「自分」が今も別の場所で生きていて、その男がいつか自分に会いに来るんじゃないか。なんかもう一人の自分に会うと、死んじゃうという話を聞いたことがあるもんで……。

画太郎の衝撃

(世間からの反応)
届く手紙も、半分は抗議でしたね。「くそつまんねぇ!」「死ね!」とか書いてある。まぁ、あまり気にせずやってましたけど。当時メディアだと、リアルタイムで自分のこと取り上げてくれたのって、知る限り電気グルーヴと鶴見済(筆者註:『完全自殺マニュアル』『檻の中のダンス』の著者)さんだけだったんですよ。だから一時、電気グルーヴと鶴見さんだけが心の支えになってましたね(笑)。

(「珍遊記」の真相)
「珍遊記」、一週目のアンケートの結果が悪くて、本当は十週で打ち切りが決まってたらしいんです。でも当時の担当編集者が、それじゃああまりにも自分が不憫だと思って、なかなか言い出せなかったらしいんですよ。自分はもちろんそんなこと知らないから、続くもんだと思って、のびのび続きを描いてました(笑)。
そしたら五週目くらいですかね、人気が突然ニ位まで上がってしまって、それでなんとか続行が決まったらしいんですよね。最初に打ち切りだって知ってたら、きっとショックで死んでたでしょうね(笑)。

画太郎の沈黙

(「珍遊記」終了後、初の読みきり「災いは口のもと…」)
あれは全然反応も人気もなくて、それでその後仕事来なくなっちゃったんですけどね。

(「地獄甲子園」に対する無反応)
「地獄甲子園」は「珍遊記」連載時と違って、まったく無反応だったんですよ。人気もなくて、アンケートもダメで、ファンレターもまったく来ない。非難の声さえない。無反応が一番やる気なくなっていくんですよね(笑)。

(少年誌のネームチェック)
少年誌のネーム(筆者註:ペン入れ前の段階で、大雑把にコマ割り、台詞などを描き入れたもの)チェックはめちゃくちゃ厳しいんです。ネームを渡してからずーっと、ドキドキ正座して電話を待ってるんですね。それでだいたい全部ダメ出しされるんです。よくてもどこか一、二ケ所直せと言われる。でもギャグマンガってどこか一部直したりすると、リズムやバランスが崩れて、まったく違うものになってしまうんですよ。だから結局あちこち直さないとしょうがない。でもそんな風に直してると、頭がこんがらがってきて、自分でも何が面白いかわからなくなるんです。
あまりにチェックが厳しくなると、そのうち自分でネームを描きながら自分でもチェック入れてしまうんですよ。指摘されそうなところを自粛してしまう。それでどんどんどんどんマンガが小さくなっていくんですね。自分が本当に面白いと思って描いたものが評価されないならまだいいんですけど、ネームを通すために自粛して描いたものを「面白くない」と言われること、これは我慢ならない…。
それから、本当にストーリーものを描くのが嫌になってしまって。だから、「わらってごらん」のようなストーリーのないものとか。あと、人間同士の殺し合いをやるとネームが通らないから、「ギーガー」のように主人公を動物にしたり。差別語がまた問題になるから、「ウギー!」とかの擬声音で台詞なくしちゃった(笑)。

(漫画を辞めたくなった)
出しても出してもネームは通らない。どんどん自分のマンガが狭くなっていくのがわかった。もう自分が何を描いたらいいのかわからなくなっていたんです。このままマンガやっててもしょうがないなって思った。もうマンガ辞めようかなと…。

(リンパ腺の炎症により、肩がまったく上がらなくなったこと)
一生描けないんじゃないかと思って、精神的にもすごく落ち込んだんです。それでペンはもうやめようって思ったんですよ。

画太郎の世紀

(ゲームの企画書を持ち込みに行った先のエニックスでの出来事)
エニックスが『コミックバウンド』という青年マンガ雑誌を作ることになったんです。それに(ピエール瀧さんと天久(筆者註:天久聖一、マンガ家。共著『バカドリル」他)さんと三人で何かやってくれないかと言われて、「マンガ描かないならいいですよ」と引き受けたんです。「バカサイ」(筆者註:『SPA!』の好評連載「バカはサイレンで泣く」。天久氏がメインコンセプターを務める)みたいな、読者ハガキで作るコーナーだと思って打ち合わせに行ったら、すっかり様子は変わっていて、瀧さん原作で自分がマンガ描くということになっているんですよ。すぐ断わったんですけど、瀧さんもすごい乗り気だったし、瀧さんとはずっとなにか一緒にやりたいと思っていたんで、隔週の少ない枚数だったから、今の腕でもなんとかいけるかなと思って始めたんです。それがネームを描き出したらいつものようにどんどん脱線してしまって、ニ七頁になっちゃったんです。無理だろうなぁと思いつつペン入れしてみたら、これが腕痛くない!治ってたんですね、完全に(笑)。

画太郎の世紀

(ゲームの企画書を持ち込みに行った先のエニックスでの出来事)
エニックスが『コミックバウンド』という青年マンガ雑誌を作ることになったんです。それに(ピエール瀧さんと天久(筆者註:天久聖一、マンガ家。共著『バカドリル」他)さんと三人で何かやってくれないかと言われて、「マンガ描かないならいいですよ」と引き受けたんです。「バカサイ」(筆者註:『SPA!』の好評連載「バカはサイレンで泣く」。天久氏がメインコンセプターを務める)みたいな、読者ハガキで作るコーナーだと思って打ち合わせに行ったら、すっかり様子は変わっていて、瀧さん原作で自分がマンガ描くということになっているんですよ。すぐ断わったんですけど、瀧さんもすごい乗り気だったし、瀧さんとはずっとなにか一緒にやりたいと思っていたんで、隔週の少ない枚数だったから、今の腕でもなんとかいけるかなと思って始めたんです。それがネームを描き出したらいつものようにどんどん脱線してしまって、ニ七頁になっちゃったんです。無理だろうなぁと思いつつペン入れしてみたら、これが腕痛くない!治ってたんですね、完全に(笑)。

(ネームがスムーズに通った)
やっぱり、最初は信じられなかったですね。これまで少年誌で、まったくネームが通らなかったですから。だから『コミックバウンド』の打ち合わせの時は、これは過激すぎるからやめた方がいいんじゃないですか?って、毎回自分からダメ出ししてました(笑)。

(「週刊少年誌」に対する思い)
「週刊少年誌」でもう一度やりたかったんですよ。
それで、自分で『チャンピオン』に持ち込みに行ったんです。この(ハートフルカンパニー)内容のまま、少年誌でできるところって、『チャンピオン』ぐらいしか思いつかなかった(笑)。持ち込み自体初めての経験だったから、とにかくやり方がわからなくて(笑)。まず本名で「原稿持ち込みたいんですけど」って電話しました。最終的には自分の素性を明かすつもりでしたけど、電話を受けた編集者が女性だったから、恥ずかしくて”漫☆画太郎”と名乗れなかったんです(笑)。この時初めて後悔しましたね、このペンネーム付けたことを(笑)。
そして日時を決めて、『コミックバウンド』を五号分抱えて秋田書店に行ったんです。

(『チャンピオン』のネームチェック)
『コミックバウンド』のネームチェックもひどかったけど、『チャンピオン』も期待以上にひどいです(笑)。ホントに読んでるのかなぁって、こっちが心配するぐらい全部通っちゃいまして(笑)。『週刊ヤングジャンプ』もそうなんですけど、とにかくすごいやり易くて……なんか今、一番楽しいですね!もうこれからは今まで通らなかったネームをバンバン出して、暴れ回ろうと思ってますから。はい。メチャクチャにすることなら、まかせてください(笑)。

画太郎の顔

(漫☆画太郎は祖母の介護をしながらマンガを描いているという噂)
あ、それ本当ですよ。バアさんが一階で寝て、自分がニ階を仕事部屋にしてます。あぁ、それもあって一年間は何もできなかったんですね。
ホント元気のいい頃は、自分のマンガの”はやっとちりババア”そのままの人で、一人で興奮しまくって他人のいうこと一切聞かないんです。いつか、今度の夏休みに孫が家に遊びにくるという電話が来たときも、まだそれまで一週間以上あるっていうのに、電話を切った途端掃除始めて、布団干し始めるんですよ。「まだ早いよ!」って言っても、嬉しくて興奮してるから誰にも止められないんですよ(笑)。
もう百歳になるのに、年寄りと見られるのが嫌だから、杖とか使わないで無理して歩くんです。だからしょっちゅう、階段から落ちて青アザつくったり、血圧上がってぶっ倒れたりしてました(笑)。こっちは気が気じゃなかったけど。

(ループマンガのルーツ?)
戦争の話とかもよくするんですけど、それが毎回同じ話なんですね。戦後焼け野原になって、ジイさんと二人で馬車馬のように働いて、子供たちを育て上げたっていう自慢話なんですが、最後は必ず「私はよくやった!」って泣くんですね(笑)。出だしは毎回違うんですけど、最後はいつも「私はよくやった!」(笑)。暇だと笑えるんだけど、忙しいと頭くるんですよね(笑)。

(漫☆画太郎のプライベートについて)
そういった謎も含めて「漫☆画太郎」を楽しんでもらいたいんです。

(幼い頃にトラウマとなる出来事はあったのか)
よく聞かれるんですけど、小さい頃、特にトラウマがあったということはないですよ。ただ藤子不二雄A先生の『魔太郎が来る!!』のようなドロドロしたマンガは、好きで読んでましたね。でも、自分は藤子先生のおふた方が好きなんです。藤子F不二雄先生の「少年マンガ」の空想世界も、すごい好きなんです。自分の「災いは口の元…」なんか藤子先生や、作家の星新一さんの影響が大きいですね。自分は『まんが道』を読んで、マンガ家目指しましたから。

(藤子不二雄Aからの直筆メッセージ)
”トビマワリ、カワリマクッテ、キキカイカイ!?”
奇妙奇天烈、奇々怪々の世にも不思議な漫画だ!
読者の予測をまったく裏切って、登場人物が、こちらと思えばまたあちら、
あちらと思えばまたこちら、と自由自在にトビマワル!
その性格形相も一瞬のうちに一八〇パーセント変わりまくる!
あのベレー帽にパイプをくわえた温厚なる肖像の画太郎画伯のほんとうの顔を見てみたい気がするな!

藤子不二雄A

信じられません。自分は藤子先生のマンガを壊すようなことばかりしてきましたから。どうぞ宜しくお伝えください。

出典先:Quick Japan Vol.37(2001年6月28日発行、太田出版)P84-P95

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